駅前、繁華街といっても、そのBARは路地裏にあって、厚い樫の扉も目立たないことから
いったい客が出入りしているものやら、それすらも図り難い店の外観だ。
ただ、深夜も終電に近くなる時間になると、その厚い扉の前に立って、じっと耳を澄ませば
店内からは軽快なジャズの調べに混じって客の笑い声が時たま聞き取れることから、
近所の常連の溜まり場であろうことが察せられる。
 そんなBARはどの駅にも一つや二つはありそうなのだが、このBARが他とちょっと
変わっているといえば、マスターの特異なキャラクターだろう。当たり前の中年バーテンダー
にしか見えないし、話上手とも思えない。ただ、その会話の内容が面白いのだ。
そう、そのマスターは、無類のクイズ好きなのである。

<Q1>
 駅前の美容院「サトー」の美容師、ミヤコ、どういう字でミヤコと書くのかは知らないが、
ともかく、マスターもミヤチャンと呼ぶし、本人が居ないときは、「あのミヤコが」と呼び捨て
にしているのだから、かなりの常連らしい。
 そのミヤコさんが背中まで伸ばしたストレートの黒髪をいかに手入れしているかの説明を
終えたとき、マスターは聞き取りづらい、いつもの低い声で、カウンターの客に話を始めた。
客といっても、そのミヤコさんの他にカウンターには三人だけ。たいくつそうなアベックの
一組と、いかにも飲みに来る以外にはすることが無さそうな男性客(つまり私)。
マスター 「美容院といえば、有名なクイズが一つありますよ」
 (しまった、と私は思った。これで空になったグラスにバーボンのお代わりを頼む機会を
 逸してしまったわけだ)
 「そのアメリカ西部の小さな町には、床屋は一軒しかありませんでした。
 実は当時の床屋というのは、飲み屋であったり、簡単な傷の手当てをしたりで、結構
 幅広く住人の面倒を見ていたんですね。アメリカ独立運動の1800年頃と思って下さい。
 さて、その床屋は、自分は町長以上に人望があると自負していました。なんたって町中の
 人の髪を切り、荒くれ者のカウボーイですら、この床屋の椅子の上では大人しく剃刀で
 髭をあたってもらうわけですから。
 ところが、特に女性は自分の髪は自分で手入れをしてしまう人もいたわけです。」
 「それは仕方が無いことだ。と、床屋は思っていました。ともかく、とわずか10セントで
 髪にハサミを入れながら、その床屋は必ず客に言うのでした。
 『全くのハゲのマッコーイ判事や生まれたての赤ん坊は別にしてですよ。私はこの町の
 自分で自分の髪を切る住人以外の、全ての住人の髪を切るんでさあ。』
 客はいつも聞かされているこの話に相槌を打つのでした。
 『自分で髪を切る住民の髪は切らないんだね?』
 『切りません。自分で髪の手入れができると思っている思い上がりの者の髪なんて、
 頼まれたってごめんです。私は自慢じゃあないが、こう見えても自分でスタイリストだと
 自負してますからね。』(当時、美容師にスタイリストという言葉は使わなかった)
 客は、『そうだ、それはそうだ』と同意してから、東部での子牛の値段や鉄道敷設の
 労働賃金について、床屋から情報を求めたがるのでした。」
 「さて」と、マスター。「今の話に問題はありますか?」
 「ジョージ・ワシントンの頃の西部については全く知識が無いもので。」と私。
 「でも、理屈は通っているよ。」
マスター「その床屋は、『自分で髪を切る人の髪は絶対に切らない。それ以外の住民の髪
 は、全て私が切るのだ。』と言っているんですよ。
ミヤコさん「いかにもプロって感じで、いいんじゃあないの」
マスター「では、ここでクイズです。」
 「この床屋の自分自身の髪は誰が切るんでしょう?」
ミヤコさん「それは自分で切ってるのよ。だって床屋はその人だけですもの」
マスター「でも、その床屋は、自分の髪を切る人の髪は絶対に切らないと言っているんですよ」
 「じゃあ、きっと床屋の奥さんが切ってるんだ。そうすりゃあタダだし。」と私。
 「いや、それは変だ。自分で切らない人の髪は全て切るんだと自慢しているんだから」と、
アベックの客の男性。
 暫くして、「きっとその床屋はハゲなのよ」と、アベックの彼女はつぶやいた。
 「なんで男の人って、こんな無意味な話に熱心なんだろう。」と彼女がつぶやいたような気が
したのは、私だけだろうか?
 ともかく、このクイズ、一体床屋の話のどこに矛盾があるのだろう。