時間とは、物の変化の尺度を測る、単なる物差しである。
物が変化すること、物と物が関係することにはエネルギーがある
と言える。しかし、時間自体はエネルギーではない。
距離を測定する物差しと同じように、変化を表現する物差しである。
けれども、この単純な事実ですら現代人はなかなか受け入れない。
100年前のアインシュタインの相対性原理の方程式にすら時間の
パラメーターが記述されているのだから。
現代物理の方程式から時間因子を取り除くことは至難の業だろう。
しかし、その現代物理のビッグバン理論やインフレーション理論
から時間を説明することは容易ではない。
最新の超ヒモ理論ですら、よく考えてみると振動があったという
事実は認めても、時間はその振動数を表現する言葉に過ぎない。
アインシュタインの相対性理論は、空間と時間が同じ土俵で記述
できることを証明したが、これは光速度が一定であることの大前提
の上での説明に過ぎない。
繰り返すが、「時間は無い」のである。別の言い方をすれば、
「時間とは変化や関係を表現する物差し」なのである。
小学校か中学校かの授業で、エネルギーに運動エネルギーや位置
エネルギーという言葉は教えられたことは覚えているだろうが、
時間エネルギーという言葉は無かったことを思い出して欲しい。
しかし一方で我々は時間の概念の中で生きているのも確かだ。
その1.地球が自転することや公転することから昼と夜の一日が生じ
四季が生じる。我々はその変化の中で生活し、365日という暦を
作成し、24時間という時計を発明し、更に分や秒間隔で仕事や
家事をこなしている。
その2.人は生きているがその最大の要因は食料の確保である。
約2万年前の氷河期の終焉の後は特に人類は食料の保存を考えざるを
得なくなった。約2億頭いたと言われるマンモスを百万から五百万の
人口の人類が狩っていた時代はまだしも、農耕の時代には収穫までの
手順が必要となり、更に食料の備蓄や発酵の技術が必要となった。
アマゾンの奥地では今でも明日のことは考えないという種族が生活
しているというが、彼らには時間の概念がほとんど無いという。
その3.物理の世界では時間は重要な要素である。
パイプの中を流れる水量は時間で表現されるし、速度も時間で表現する。
落下などの加速度は時間でしか表現できない。
表現だけの問題ではなく事実、摩擦などの物と物との関係は接触が
早いか遅いかで結果が異なる。弾丸は銃から発射されれば人を殺すが
手で投げつけただけでは、まず死ぬ人はいない。
運動エネルギーが時間のベクトルを持っているからだ。
その4.そもそも生命自体が時間の概念を持っている。
遺伝子は細胞を分裂させる度に死へのカウントをするよう設計されて
いるし、種族を保存しようという明らかな努力をする。
増えすぎたネズミが集団自殺をするように、本能は数を増やすことで
はなく種族を残すことを目的とするかのように振舞う。
このように列記すると、「時間は無い」という論法は全く無意味な
ものに思えてくるかもしれない。
しかし時間という概念を曖昧に受け入れているだけでは、何一つとして
物事を理解することが出来ないのだ。科学も人生も。
まず、上記の1と2については、時間というものが人間の感覚から
生じた単なる概念だということについて納得していただけるだろう。
もしも世界に昼と夜が無く、四季も無く、食料も欲しいままに手に
入るという極楽のような世界で生きているなら、人には時間の概念は
生じなかっただろう。
問題なのは3の、物理上での時間の概念だ。
時間に関する書物は数多くあるが、何故か日本国内のものは少ない。
これはギリシャから発生した哲学=科学的思考がが欧米で今でも
根強く引き継がれていて、東洋では生活に直接密着しない概念に
ついては興味を示さない傾向を持っているからなのだろう。
仏教においては色即是空という概念を無条件で受け入れ、それを
再度検証しようという努力は少ないし、中国でも仙人にまつわる逸話
や怪奇話としての物語の範囲を出ていない。
それに比べて欧米では今でも基礎的思考がより活発で、精神面からや
物理の面から幅広く検証された、時間に関する書籍が今でも出版
されている。
そうした最新の物理学までを踏まえて論議された時間に関する考察
では、やはり時間は有ると無しの2つに意見が分かれているようだ。
物理学上では時間は次元の一つとして捉えられる。
インフレーションで宇宙が生成された時に生じた多くの次元の一つと
して、時間も生まれたという理論だ。そして次元は現在、10のもの
が物理学上存在していると言われている。
ここまでくるととても素人には理解できるものではない。
しかし一方で、次元とは人間の理解のための解釈に過ぎないという
考え方もある。例えば自動車は何次元の物体かというと、大きさの
次元、進行方向の次元、方向転換の次元、加速の次元、座席の角度の
次元、バックミラーの角度調整の次元等、無数にあるという解釈だ。
では常識として我々が教えられた、点と線の1次元、面積の2次元、
空間の3次元、時間の4次元とは何だったのだろうか。
これが単なる便宜上での解釈だとするならば、アインシュタインが
時間と空間が関連したものだと証明した相対性理論とは何の意味が
あったのかと思い起こさざるを得ない。
結論から言うと、次元の一つである時間の概念も現代の物理学上での
単なる便宜に過ぎないのである。
運動を質量と速度で表現しているのは物理だが、それは物と物との
関係の表現方法に過ぎないとも言える。
宇宙が無から生成された後の今となっては、物質が存在し、物質同士
の関係が存在することは確かだ。ただ、その関係を今の物理上の表現
で全て説明しようとするところに無理が生じるのではないだろうか。
古典物理から相対性理論、量子力学、ひも理論、超ひも理論に到って
我々が得たものは更なる疑問だ。光速度の限界、重力とは何か、
大統一理論は完成するのか、そもそも宇宙の生成と限界は?
現代の最先端の理論でも、例えば量子力学の学者の数だけ理論がある
と言われる程に曖昧だ。多次元宇宙論や繰り返し宇宙論等、まるで
新興宗教の教義程に多岐多様である。
その中に、時間は無い理論を唱える物理学者も当然いる。
イギリスのある学者は、あらゆる物理方程式から時間パラメーターを
取り去る作業をしているとか。
最後に、4番目の遺伝子の振る舞いについては私は何の結論も持って
いない。そもそも生命とは宇宙生成の目的なのか、それとも単なる偶然
の産物なのか。
少なくとも進化というものが単純な自然淘汰説で説明できるとはとても
考えられないし、進化の頂点に人間がいるなどという傲慢な考え方は
持っていないのだが。
この神にも等しい能力を持った遺伝子というものが、何億、何十億年も
かけて何かの目的を持って作用しているのなら、遺伝子は時間という
概念を持っているとも言えるだろう。
しかし多分、遺伝子に意識があるとするならば、意識があるという証拠
はあるのだが、人間の時間に関する考察について大笑いしているかも
知れない。
by MIMI